椅子の物語2(吉祥寺)

No.01 – No.54      No.55 -No.167

 

No.55 「毎朝の出発点だった椅子」

毎朝この椅子に座り朝食を食べ、自宅から吉祥寺の成蹊に通いました。今からもう25年も前の話です。ずいぶんと古くなりましたが、この椅子が生まれ変わり吉祥寺のまちなかに置かれるようになれば嬉しいです。
(成蹊学園OB、新橋「なだ」店主 冨田剛様)

No.56 「毎朝の出発点だった椅子」

毎朝この椅子に座り朝食を食べ、自宅から吉祥寺の成蹊に通いました。今からもう25年も前の話です。ずいぶんと古くなりましたが、この椅子が生まれ変わり吉祥寺のまちなかに置かれるようになれば嬉しいです。
(成蹊学園OB、新橋「なだ」店主 冨田剛様)

No.57 「居酒屋のスツール椅子」
お店で使っていました。多少ガタつくかも知れませんが、補修され復活すればまだこの先も使えると思います。吉祥寺にて人々が繋がるきっかけとして使って頂ければと思い、託します。赤く塗られまちゆく人々に座っていただける日がくるのが楽しみです。
(成蹊学園OB、新橋「なだ」店主 冨田剛様)

No.58 「居酒屋のスツール椅子」
お店で使っていました。多少ガタつくかも知れませんが、補修され復活すればまだこの先も使えると思います。吉祥寺にて人々が繋がるきっかけとして使って頂ければと思い、託します。赤く塗られまちゆく人々に座っていただける日がくるのが楽しみです。
(成蹊学園OB、新橋「なだ」店主 冨田剛様)

No.59 「中学生椅子」
多くの子ども達が、この椅子に座って学び、立派に成長しそれぞれの道へと羽ばたいていきました。エネルギーを生み出す街・吉祥寺でこの椅子に座り、お子さん方が背筋を伸ばし、心豊かに成長されますことを心よりお祈り申し上げます。
(慶応会様)

No.60 「小学生椅子」
多くの子ども達が、この椅子に座って学び、立派に成長しそれぞれの道へと羽ばたいていきました。エネルギーを生み出す街・吉祥寺でこの椅子に座り、お子さん方が背筋を伸ばし、心豊かに成長されますことを心よりお祈り申し上げます。
(慶応会様)

No.61 「パイプ折りたたみ椅子」
多くの子ども達が、この椅子に座って学び、立派に成長しそれぞれの道へと羽ばたいていきました。エネルギーを生み出す街・吉祥寺でこの椅子に座り、お子さん方が背筋を伸ばし、心豊かに成長されますことを心よりお祈り申し上げます。
(慶応会様)

No.62 「井の頭通り中道通りの椅子」
以前井の頭通り中道通りのエリアで引越しを何回かしたことがありました。その時いつもこの椅子と一緒に動いていました。今はまた吉祥寺の別のエリアに住んでいて心機一転で椅子も新調しました。使っていた椅子が赤く塗られ吉祥寺の中で多くの皆様にまた使われることは新たな楽しみとなりました。
(吉祥寺在住の方より)

No.63 「丸太彫の椅子」
趣味で古材を使ってよく家具を製作しています。赤い椅子プロジェクトさんにも椅子の修復という形で参加させていただいております。この赤松の丸太を繰り抜いて作った椅子も赤く塗られ吉祥寺のまちなかに置かれれば嬉しく思います。
(埼玉県さいたま市岩槻区小溝在住 中山工務店 大工 中山賢二様)

No.64「家族が集まる椅子」
20年間、家族が集まるダイニングの椅子として大活躍してきた椅子です。
ずっと家族を見守ってきてくれたこの椅子が、週に何度も行く吉祥寺のまちでまた誰かを癒し、幸せにしてくれたら嬉しいです。
(西荻在住 田村家の皆様)

No.66 「Jさんの椅子」
私によく座ったJさん。 彼女はとても繊細で且つ個性的な人で中々社会に馴染めず、この吉祥寺に住むメンタルセラピストの診療所を訪問しましたが、母子家庭の身では高額な診療費に限界があり継続不能となりました。
紆余曲折を経て今は様々な人達の力を借りながら何とか1人暮しをした、私はそんなJさんとの思い出を持つ椅子です。
(世田谷区在住 原田万里子様)

No.67 「Jさんの椅子」
私によく座ったJさん。 彼女はとても繊細で且つ個性的な人で中々社会に馴染めず、この吉祥寺に住むメンタルセラピストの診療所を訪問しましたが、母子家庭の身では高額な診療費に限界があり継続不能となりました。
紆余曲折を経て今は様々な人達の力を借りながら何とか1人暮しをした、私はそんなJさんとの思い出を持つ椅子です。
(世田谷区在住 原田万里子様)

No.68 「銀婚式の椅子」
私の結婚時、持参品の1つとして両親が買ってくれた食卓テーブルのイスです。
結婚に対する喜びや不安がうずまき一緒に買いに行かなかったので見る度にその事も思い出します。
今年は25周年、銀婚式を迎えました。
(下連雀在住 永山様)

No.69 「銀婚式の椅子」
私の結婚時、持参品の1つとして両親が買ってくれた食卓テーブルのイスです。
結婚に対する喜びや不安がうずまき一緒に買いに行かなかったので見る度にその事も思い出します。今年は25周年、銀婚式を迎えました。
(下連雀在住 永山様)

No.70 「銀婚式の椅子」
私の結婚時、持参品の1つとして両親が買ってくれた食卓テーブルのイスです。
結婚に対する喜びや不安がうずまき一緒に買いに行かなかったので見る度にその事も思い出します。今年は25周年、銀婚式を迎えました。
(下連雀在住 永山様)

No.71 「銀婚式の椅子」
私の結婚時、持参品の1つとして両親が買ってくれた食卓テーブルのイスです。
結婚に対する喜びや不安がうずまき一緒に買いに行かなかったので見る度にその事も思い出します。今年は25周年、銀婚式を迎えました。
(下連雀在住 永山様)

No.72 「銀婚式の椅子」
私の結婚時、持参品の1つとして両親が買ってくれた食卓テーブルのイスです。
結婚に対する喜びや不安がうずまき一緒に買いに行かなかったので見る度にその事も思い出します。
今年は25周年、銀婚式を迎えました。
(下連雀在住 永山様)

No.73 「名前のない椅子」
この椅子をご提供いただいた方、是非あなたの椅子にまつわるストーリーを教えていただけないでしょうか?
ご連絡お待ちしております。

No.74 「マイホームの椅子」
20年前に初めてのマイホームのために買った家族との想い出のイスです。
皆さんに使っていただけますように。

No.75 「授業で作った椅子」
中学校の技術の授業でつくりました。
今(3x才)まで大切にとっておきましたが、吉祥寺の街で使っていただければ幸いです。
(古川様)

No.76 「あっ!という間の椅子」
7年前、子供が1歳を越え購入。『あっ!』という間に成長した子供に合わなくなりました。今、この椅子を見るとこんな小さなときがあったかなあ、、と。
椅子は2つあり、今回、大好きな吉祥寺で出会えるなら!と一つを寄付しました。まち歩きの目的がまたひとつ増えそうです(笑)
(矢部様)

No.77 「イベント通な椅子」
アトレ吉祥寺は東西に400mととても長いので、まちを歩くようにお客様にブラブラとしていただけるよう、椅子もたくさん置いています(全部で250席以上!)。このベンチはB1F『ゆらぎの広場』で、年500回以上の様々なイベントを見てきました。今回ベンチ自身をこのイベントに参加させることで、アトレがもっと楽しい場所になるのでは?と考えました。是非、座ってください!!
(アトレ吉祥寺店様)

No.78「イベント通な椅子」
アトレ吉祥寺は東西に400mととても長いので、まちを歩くようにお客様にブラブラとしていただけるよう、椅子もたくさん置いています(全部で250席以上!)。このベンチはB1F『ゆらぎの広場』で、年500回以上の様々なイベントを見てきました。今回ベンチ自身をこのイベントに参加させることで、アトレがもっと楽しい場所になるのでは?と考えました。是非、座ってください!!
(アトレ吉祥寺店様)

No.79 「居酒屋スツールの椅子」
お店で使っていました。多少ガタつくかも知れませんが、補修され復活すればまだこの先も使えると思います。吉祥寺にて人々が繋がるきっかけとして使って頂ければと思い、託します。赤く塗られまちゆく人々に座っていただける日がくるのが楽しみです。
(成蹊学園OB、新橋「なだ」店主 冨田剛様)

No.80 「居酒屋スツールの椅子」
お店で使っていました。多少ガタつくかも知れませんが、補修され復活すればまだこの先も使えると思います。吉祥寺にて人々が繋がるきっかけとして使って頂ければと思い、託します。赤く塗られまちゆく人々に座っていただける日がくるのが楽しみです。
(成蹊学園OB、新橋「なだ」店主 冨田剛様)

No.81 「居酒屋スツールの椅子」
お店で使っていました。多少ガタつくかも知れませんが、補修され復活すればまだこの先も使えると思います。吉祥寺にて人々が繋がるきっかけとして使って頂ければと思い、託します。赤く塗られまちゆく人々に座っていただける日がくるのが楽しみです。
(成蹊学園OB、新橋「なだ」店主 冨田剛様)

No.82 「居酒屋スツールの椅子」
お店で使っていました。多少ガタつくかも知れませんが、補修され復活すればまだこの先も使えると思います。吉祥寺にて人々が繋がるきっかけとして使って頂ければと思い、託します。赤く塗られまちゆく人々に座っていただける日がくるのが楽しみです。
(成蹊学園OB、新橋「なだ」店主 冨田剛様)

No.83 「居酒屋スツールの椅子」
お店で使っていました。多少ガタつくかも知れませんが、補修され復活すればまだこの先も使えると思います。吉祥寺にて人々が繋がるきっかけとして使って頂ければと思い、託します。赤く塗られまちゆく人々に座っていただける日がくるのが楽しみです。
(成蹊学園OB、新橋「なだ」店主 冨田剛様)

No.84 「返ってきた椅子」
気に入って買い求め、大切に使ってきた椅子なので、結婚した息子にも使ってもらいましたが、孫が生まれる事になり、住宅事情もあり、私の手元に返ってきました。お役に立てば幸いです。
( 吉祥寺本町4丁目在住 I様より)

No.85 「返ってきた椅子」
気に入って買い求め、大切に使ってきた椅子なので、結婚した息子にも使ってもらいましたが、孫が生まれる事になり、住宅事情もあり、私の手元に返ってきました。お役に立てば幸いです。
( 吉祥寺本町4丁目在住 I様)

No.86 「食卓の椅子」
家族とともに長い時間を一緒に過ごした食卓の椅子。
ここ数年、誰にも座られることなく寂しい思いをさせてしまった。
でもこれからは吉祥寺の街中で、大勢の人たちと過ごすことができるね。
(吉祥寺東町在住 I様)

No.87 「食卓の椅子」
家族とともに長い時間を一緒に過ごした食卓の椅子。
ここ数年、誰にも座られることなく寂しい思いをさせてしまった。
でもこれからは吉祥寺の街中で、大勢の人たちと過ごすことができるね。
(吉祥寺東町在住 I様)

No.88 「食卓の椅子」
家族とともに長い時間を一緒に過ごした食卓の椅子。
ここ数年、誰にも座られることなく寂しい思いをさせてしまった。
でもこれからは吉祥寺の街中で、大勢の人たちと過ごすことができるね。
(吉祥寺東町在住 I様)

No.89 「食卓の椅子」
家族とともに長い時間を一緒に過ごした食卓の椅子。
ここ数年、誰にも座られることなく寂しい思いをさせてしまった。
でもこれからは吉祥寺の街中で、大勢の人たちと過ごすことができるね。
(吉祥寺東町在住 I様)

No.90 「プラモの椅子」
マンションのベランダでくつろいだり、プラモ作りの際などに利用していましたが、最近は使う機会が減り、
処分を検討していたところ、プロジェクトの存在を知りました。
この椅子が今後は吉祥寺の街角で少しでもみなさんのお役に立つことができれば、とてもうれしく思います。
( 三鷹市在住 T.T様)

No.91 「プラモの椅子」

マンションのベランダでくつろいだり、プラモ作りの際などに利用していましたが、最近は使う機会が減り、
処分を検討していたところ、プロジェクトの存在を知りました。
この椅子が今後は吉祥寺の街角で少しでもみなさんのお役に立つことができれば、とてもうれしく思います。
( 三鷹市在住 T.T様)

No.92~103 「成蹊小学校 低学年アトリエの丸椅子」
この椅子は1999年4月から成蹊小学校の美術室「低学年アトリエ」の丸椅子として約18年間使われてきました。主に1年生から3年生の美術の時間に着席するための椅子であり、時には鋸やヤスリがけなどに使うときの支えとして力を発揮してくれました。長年にわたり子どもたちを支えてくれた椅子が“赤い椅子プロジェクト”により新たな場面で活躍してくれることを願います。
(成蹊小学校 様)

No.104 「父の椅子」
テレビを見ながらよくうたた寝していた亡父愛用の椅子を再び皆様に使っていただき、亡父も喜んでいることでしょう。 (園部哲也 様)

No.105 「ファッションハウス515の椅子」
中道通りで30年。この椅子は「ファッションハウス515」と共にありました。お店の閉店に伴い、お譲りする事にしました。お子さんからご年配の方まで、お店を訪ねてくる多くの人が最初にこの椅子に座って下さり、この曲線的な椅子もまたそんな人々を優しく包み込むように、暖かく見守ってきました。新しく生まれ変わり、まちなかの皆様にまた座って頂けることを嬉しく思います。  (FH515 店主 坂巻 様より)

No.106~107 「共に学んできた椅子」
一昨年まで8年健康サロン一色で真っ白な店でした。プラスで物販の流木とエアープランツを始めて店の中は全く違った感じになりました。それまで、耳ツボスクールをしていたので、全国、フランス、ハワイの耳ツボの先生達がこの椅子を使いお勉強してきました。素敵なお仕事をしてきた椅子達です。
(ビズマルコサーカス 高野 様より

No.108~127 「成蹊小学校 低学年アトリエの丸椅子」
この椅子は1999年4月から成蹊小学校の美術室「低学年アトリエ」の丸椅子として約18年間使われてきました。主に1年生から3年生の美術の時間に着席するための椅子であり、時には鋸やヤスリがけなどに使うときの支えとして力を発揮してくれました。長年にわたり子どもたちを支えてくれた椅子が“赤い椅子プロジェクト”により新たな場面で活躍してくれることを願います。(成蹊小学校 様より)

No.128~145 「成蹊高校の椅子」

No.146 「小龍(shaolon)の椅子」

吉祥寺、中道通りで、おかげさまで多くの皆様に長年愛されてきました小龍。店内で皆様に台として、椅子として使っていただいたものです。2018年7月で閉じることとなりましたが、この小さな台がまたどこかで皆様に使っていただければ嬉しく思います。(小龍 店主 小西 様より)

No.147 「小龍(shaolon)の小さな台」

吉祥寺、中道通りで、おかげさまで多くの皆様に長年愛されてきました小龍。店内で皆様に台として、椅子として使っていただいたものです。2018年7月で閉じることとなりましたが、この小さな台がまたどこかで皆様に使っていただければ嬉しく思います。(小龍 店主 小西 様より)

No.148 「小龍(shaolon)の椅子」
吉祥寺、中道通りで、おかげさまで多くの皆様に長年愛されてきました小龍。店内で皆様に台として、椅子として使っていただいたものです。2018年7月で閉じることとなりましたが、この小さな台がまたどこかで皆様に使っていただければ嬉しく思います。(小龍 店主 小西 様より)

No.149 「夫が描いた絵の椅子」
結婚のお祝いに夫が描いた絵を元に友達のお父さんが手作りしてくれました。青森から届いた時には大きさとかわいらしさに驚きました。その後子どもが生まれ、みんなで大切にしてきた思い出の椅子です。吉祥寺の街中で永く愛されたら、嬉しいです♡(西久保在住 川口 様より)

No.150~152 「飲食店の椅子」
赤い椅子の活動がスタートした頃、椅子がなかなか集まらないと聞き、知り合いの飲食店で使われていた椅子を頂き、寄付致しました。吉祥寺を愛し、吉祥寺で営むものとして、人と人、人と街がつながることに参加出来ればと思っています。(もも吉オーナー 岡村良太 様より)

No.153 「旅する椅子」
この椅子は多くの旅、体験をしてきました。アメリカで家族の団欒を支え、帰国後はご主人を無くされた家族を見守ってきました。数年前に譲り受け今度は私の家族を支えてくれた椅子です。そして今吉祥寺の街に落ち着きました。今人生の旅をされている多くの皆様がこの椅子に座って安らげて頂けます様に!
(湯川百合子 様より)

No.154~155 「幸せを運ぶ椅子」
赤く恥じらう私も、昔は紅茶色でした。三十年前に荻窪から始まった私と私の家族の物語は、吉祥寺へと場所を移して今につながります。いつ自分よりイケてる椅子が現れるかとヒヤヒヤしましたが、最後まで大切にしてもらいました。これからは皆さんとこのまちの物語が幸せに包まれるように、四本足で踏ん張ります。(吉祥寺本町在住 I 様より)

No.156 「心境の変化が現れた椅子」
両親とアラフィフの妹が暮らす母屋のDK、突如真っ赤な木製の椅子に替わった。何か大きな心境の変化があったのだと驚いた。その後、妹が先に逝き、20年を経て主のいない三脚の椅子が当初の記憶と共に残った。(M 様より)

No.157  「笹塚の椅子」
祖父母の家にあった椅子。孫達が訪ねて来た時のために、と置いてありました。座るのは「その時一番幼い人」。大勢の親戚に注目されて、ちょっと特別な気持ちになれる椅子でした。赤い椅子に生まれ変わっても、座る方がちょっと特別な気分になれますように。(笹塚在住 M様)

No.158  「笹塚の座椅子」
祖父愛用の座椅子でした。一緒にコタツに入ったり、親戚が集まってお正月遊びをしたことを思い出します。赤い椅子になって皆さんに再利用されていることを、祖父も喜んでいるかと思います。(笹塚在住 M様)

No.159~162 「芙葉亭の椅子」
この椅子は、フランス料理店に長年あった椅子です。お客様達の誕生日、結婚記念日、就職祝い、数々の晴れの日に大事な方々とテーブルを囲んだ時に使われた椅子です。七五三のお子様から百歳を超えた長寿の方達まで、実に沢山の体を支えてきた椅子です。レストランでの役目を終えた今でも、誰かの役に立って、座った方の人生を見つめたいです。(芙葉亭 店主様)

No.163 「葡萄屋 ”バーラウンジWAGONS LITS”の椅子」
地下1階のバーのテーブル席で30年以上使用していた椅子です。お客様にごゆっくりとくつろいでいただけるように、細やかな細工と座面の深さにこだわり、特注で作った愛着のある椅子です。皆様に使っていただけると椅子も喜ぶのではないかと思います。(株式会社三味代表取締役 秋田秀博様)

No.164 「葡萄屋 ”焼肉BUDO-YA”の椅子」
3階の焼肉フロアで使用していた椅子です。猫脚、安定感のあるすわり心地にこだわって特注でつくりました。オープンから何度も座面の貼りかえをして長い間頑張ってくれた椅子です。皆様に使っていただけると椅子も喜ぶのではないかと思います。(株式会社三味代表取締役 秋田秀博様)

No.165~166 「藤村トヨ先生考案の椅子」
本校創立者の藤村トヨは、腰を伸ばし下腹に力を入れることが体と共に精神の健康の基礎となり、姿勢を良くすることが健康の秘訣と考えました。その考えを基に作られたのがこの椅子です。「腰伸ばせ。即。腹の力」。藤村トヨが90年以上前に提唱した健康の秘訣が、この椅子を通して広まると嬉しいです。(学校法人井之頭学園 藤村女子中学・高等学校 理事長 高橋あゆち様)

No.167 「家具のさかい屋の椅子」
いつか赤い椅子プロジェクトに協力したいと思っていました。このタイミングで使っていただけることを大変うれしく思います。皆様の役に立ちますように。(家具のさかい屋 寺久保 純也 様)